人力飛行機探訪記

鳥人間はじめ人力飛行機を見てきた記録をアーカイブ

出場できない鳥人間の成れの果て(或いは、なぜVTuberと手を組むのか)

はじめに

f:id:deciliterai:20220830204309j:image

今年も鳥人間コンテストの放映日が近いですね。

何の結果も出せない事に10年を捧げてしまった話をします。

あくまでもOBの与太話です。

 

翼を掴みとれない鳥人

鳥人間コンテストには書類審査がある。設計図や「飛ばなきゃいけないワケ」「パイロットアピール」などを記入した書類の提出が必要だ。

この審査に通過したチームだけが鳥人間コンテストのプラットホームから機体を飛ばせられる。

 

私がかつていたチームは10年以上もう琵琶湖に行っていない。

出場側としてプラットホームに立つどころか琵琶湖に観戦に行く人も殆どいなかった。*1

 

人力飛行機を続けている同世代はOBチームを続けていたり、引退して結婚して子どもが産まれて家族で放送を見ていたり。そんな眩しい鳥人間になれなかった。

今回書くのは人力飛行機オタクの末席による嫉妬と僻みと向いていない事に10年弱を捧げたことへの嘆きにまみれた内容だ。

このブログには10年先に残したいことを書いていくつもりでいたが、この記事はこの後どう扱うか決めていない。

 

『それでも努力は報われるのか』

Google Scholarで「鳥人間コンテスト」「人力飛行機」で検索をしては目についた文献を片っ端から取り寄せていた時期がある。

その中に鳥人間コンテスト2018を題材とした道徳教材があった。2018年は悪天候のため1日目の途中で大会中止となった年だ。私も現地で見ていた。

 

「それでも努力は報われるのか」というテーマで、昨年の鳥人間コンテストを道徳教材にしてみた。

(中略)

さて、プラットホームに立てなかったチームも努力は報われたか?生徒たちに聞いてみた。

 ― それでも努力は報われるのか : 鳥人間コンテストより | CiNii Research

 

私が答えるとしたら『やりようによっては報われる』だ。

そもそも書類審査を通過して機体を琵琶湖に持っていき大会当日の機体審査を通過しただけでも凄い、周囲との関係が良好なら人力飛行機をやっていた人にとって鳥人間コンテストの日は大規模な楽しい同窓会にもなる、エピソードトークに使える、たとえ出場できなくてもあの人は頑張っていたと見なされたらOBチームに行った時に肩身が狭くない。

長年書類審査に受からずジャンプ飛行もできないチームの出身だからとナメた態度を取られることもない。*2

人当たり良くいるために普段なるべくニコニコして隠している10年弱積りに積もった恨みや嫉妬がおぞましく出てくる。

 

かつてのチームの話

鳥人間コンテスト出場を目指す人たちはTwitterで交流することが日常的であり、チーム名義のSNSアカウントもTwitterが多い。

かつていたチームにはSNSを利用した交流があまり無かった。(あくまでも当時の話であり、今はきっと違うだろう)

ようやく個人でそういったSNS上での交流の場にたどり着けた時には2年次の秋。多くの学生チームは3年次の夏に引退だ。引退後も鳥人間に関わり続ける人は俗に『クソOB』と仲間内で呼ばれる。

所属チームや学年を大っぴらにするTwitterの使い方を最初からしていたら他チームの同期との交流がもっとあったのだろうかとも少し思う。

 

成仏するための方法

鳥人間が引退するとき『成仏』と呼ばれることがある。

引退にも色々ある。学生チームのうちにやりたいことを全部できた、自転車やグライダーなど別の趣味にハマった、就職して時間がとれない、結婚した……。

OBになった場合の綺麗な成仏理由は『OBチームなどで出場して良い結果を出せた』だろう。

物書きにはこれがない。綺麗な引退方法を見つけられていない手段を選んでしまった。

 

物書きと説得力

前述のようにかつて所属したチームは長いこと琵琶湖に行っていない。大抵の「うちは〇〇年出場できていない弱小チーム」には私の出身チームは最終出場年がもっと前だよと嫌なマウントを取れる。

プラットホームに立ったことは何回かあるが全て知人の手伝いでだ。少しでも手伝ってくれたなら実質チームメンバーのようなものだと温かい言葉をかけてもらったことはあるが、自分自身が大きく関わった機体を飛ばしたことは無い。それによって説得力や魅力が減っていると自覚してしまう。

狭い世界。どうしても求められるのは出場に直結する情報や他のものづくりでも使える普遍性がある情報だ。

文化の発展のためには記録が必要だと信じて何気ないことまで記録しようと心がけているが、ただでさえ需要を感じにくい内容の上にこのコロナ禍で取材に出向くのは難しくなった。

 

書かなきゃいけないワケはない!

それでもなぜ書き続けるのか。

ひとつは「書くことは1人でも続けられるから」だ。

全体設計をやりたいと思ったこともあったが前述のチームにいた頃は叶わなかった。絶対に全体設計をやりたいと言っていた同期への遠慮だ。結果、モータドライバ回路の設計を行った。*3

アナログ回路を用いたやり方をしたチームは他に見たことがない。普遍性がない製作経験しか持っていない。

元々自分が工学競技を行うなんて思ってもいなかった。紙飛行機ひとつろくに折ることができなかった。幼少期に多くの未来の人力飛行機競技者が紙飛行機を作ったりラジコンを飛ばしたりして製作の勘を磨いている間に私は何もしていなかった。ほんの少し楽器を弾き、音楽を聴き、児童文学を読んでいただけ。そんな自分にできたことが書き続けることだけだ。

 

人力飛行機というジャンルを知る前の話をする。

最愛のバンドが2008年に武道館ライブを行い解散し、2014年に再結成した。2008年〜2014年の心の支えは解散までライブに行き続けていた人のライブレポを片っ端から読み漁ることだった。

あの時読んでいたような過去に想いを馳せられる文章を書きたいと思い、自分もライブレポを書いては個人サイトに載せていた時期があった。

 

バンドの紹介記事があるなら鳥人間チームの紹介だってしていいじゃないか。

ライブレポがあるからテストフライトのレポだって書いてもいいじゃないか。

そう考えてこのブログが始まった。

 

もう一つの書き続ける理由

弱小と自虐するようなチームの出でも、いわゆる三役*4でなくとも記録や発信していい。それを体現するために書きつづけている。

前述の通り、文化の発展のためには記録が必要だと信じている。これは執筆活動について全く違うジャンルの人からかけてもらった言葉だ。

それは各種メディアに映らない部分にもきっとある。

 

しかし結局は、物を作っているところを見ることが好きなだけではものづくり界隈には居られないような肩身の狭さを感じつつもこれしかできることがないから続けている、というのが正直なところだ。

 

その先にあったもの

自分ひとりだけで継続できることを行っていたら自己肯定感は一向に上がらないまま止め時を見失ったが、良かったことはゼロではなかった。

 

博物館ボランティア活動

このブログにも書いたが航空博物館で人力飛行機・人力ヘリコプターといった収蔵品の修復を行っていた時期がある。

過去に鳥人間活動の中で容姿をバカにされて涙が止まらなく部屋から出ることができなかったような私でも、なんとか部屋から出てアクティブギャルズファミリーの末席として微力ながら手伝うことができた。

 

海外交流

とにかく楽しかったと思えることは海外交流だ。

イギリスに行った際にサウサンプトン大学人力飛行機チームにアポを取り拙い英語で国際交流をしてきた。

幸いこのブログに掲載するために写真をいくらか撮影、整理していたため見せる日本の写真には困らなかった。

今もときどき連絡を取り合っている。

この時にお土産でもらったマウスはブログ記事を書く時に愛用している。

 

この先にあって欲しいもの

どうしようもなく対人スキルが低い。そして気も弱い。さらに友達が少ない。

安井金比羅宮に行ってもなるべく穏便な願いをしようとして「穏便に○○との縁を切ります」と祈ったら、私自身がお笑いコンビにハマって航空機への興味を失いかける始末。

お笑いコンビにハマって思ったことは「人力飛行機やっていて相方もしくは相棒と言える存在がほしかった」。

そうだ、作ろう。

 

DIYで相方を作ろう

そこでブログのマスコットキャラクターが生まれました。作ろうと手を動かした結果あらぬ方向に転がっていくことは皆さん身に覚えがあるのではないかと思います。

お互いの執筆活動やVTuber活動の相談をし合ったりしています。チャンネル登録よろしくお願いします。

つばさつる 人力飛行機探訪記 - YouTube

目標は鳥人間コンテストの解説席に立たせることです。夢は大きくいきます。

*1:鳥人間コンテストの観戦には出場する/しないに関わらず多くの鳥人間経験者が行く

*2:勿論そういった態度を取る人はごくわずか

*3:鳥人間コンテストは尾翼の操舵にはサーボモータを使用しても良い

*4:パイロット、全体設計、代表(チームリーダー)を指す